伊達男の映画批評

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ラマヌジャンの数奇な人生「奇蹟がくれた数式」レビュー


10/22公開 『奇蹟がくれた数式』予告編

作品・出演者情報

監督

マシュー・ブラウン

キャスト

個人的レビュー

インドの魔術師。

その独創的な発想と常人離れした数学の能力から、ラマヌジャンはそう呼ばれる。

現代の数学や物理学、宇宙開発にも大きな影響を及ぼしている彼の功績を紐解き、映像作品にした本作では、「数学」という人によっては嫌悪感を抱くテーマながら感動する作品だったと思う。

ラマヌジャンにはハーディという師であり共同研究者がいるが、ラマヌジャンの人生を語る上で彼の存在は欠かせない。元来数学に没頭してきたハーディは、無神論者で家族もなく、証明できないものを信じない人間だった。そんなハーディがラマヌジャンとの研究を通し、人間味を帯びていく姿も観ていて感動するシーンだ。

この映画のテーマは「証明」にある。

それは、「数学的証明」と「愛の証明」の2軸で語られる。

文献やウィキペディアを読めば分かるが、ラマヌジャンは証明をしない数学者だった。

それは彼が数学的な証明という手法を理解していなかったこと、毎日のように定理がナマギーリという神から与えられるという宗教的な理由を信じ、神から与えられたものを真理だと思っているからであった。

だが、そんな理由では数学者たちは納得しない。彼が思いつく定理が正しいものなのかどうか、数学的に証明をしてこそ価値がある。ハーディ含め全ての数学者がそう思っていた。

ハーディはラマヌジャンの功績を形にするため、数学的な証明をするように厳しく指導する。それがラマヌジャンを偉大な数学者に導くものだと思って。

ラマヌジャンは、彼の発見した定理の発表をハーディが手伝ってくれると思って、インドからイギリスへ渡った。家族を置いて、そして、信仰している宗教の教えに反して。

なのに、神が教えてくれた定理を「証明」することに多大な時間をかけるように要求するハーディに反抗することもあった。

証明されていないものは信じることはできない。そんなハーディの性格は、まさに数学を体現しているようなものだ。ラマヌジャンが直面した証明という壁は、ハーディを理解し、受け入れることで乗り越えられる。

一方でハーディ自身もまた、「証明」の問題に直面していた。彼は無神論者で家族もいない。証明できないものは信じない。

宗教が広く信じられている世の中で、彼自身の生き辛さは「証明できないものを信じる」ことにあった。

家族がいて、信仰深いラマヌジャンと接するうちに、ハーディもまた自身の問題に立ち向かう。

神を信じる。家族を愛する。ハーディにとって証明されていない意味のない事象と捉えられていたものは、ラマヌジャンの存在によって打ち砕かれていく。

良かった点

本作品の良かった点は、数学という難解なテーマにもかかわらず、視聴者を置いていかない絶妙な構成にある。

難しい数式は登場するものの、それを理解していなくても作品の理解には関係ない。また、数学の持つ神秘的な側面をよく表現していた。

まあ、ラマヌジャンがいかに数学の天才かを表現しているとも言えるのだが。

有名なエピソードを織り交ぜつつ、数学の神秘に触れられるこの作品は、学生時代数学を苦手としていた私でも興味深く観ることができた。

残念な点

一方で、残念だった点もある。

それは、ラマヌジャンが渡英するまでのエピソードが非常に薄くしか表現されていないことである。

実は、ラマヌジャンは数学に没頭するあまり、他の科目の単位が取れずに二度も退学している。

本作ではそのエピソードはどこにもなく、「夭逝の天才」としてのラマヌジャンを描いただけに過ぎないのは少しもったいなかった。

ラマヌジャンをより人間味があり、親しみを持てるキャラクターとして描くことができていれば、また違った印象にもなったのだろう。

終わりに

インドの魔術師。そう呼ばれたラマヌジャンの激動の生涯を描いたこの作品は、私の学問への探究心に火をつけてくれた。

高校時代に嫌いになってしまった数学も、今なら楽しめるかもしれない。

そう思って問題集を引っ張り出してみたが、ペンは思うように進まなかった。

「奇蹟がくれた数式」は、Amazon Primeで視聴することができます。