伊達男の映画批評

AmazonプライムかHuluかディズニープラスで見た映画の感想を書いています。

超実力派俳優4人が集結!「ラスト・ベガス」レビュー


『ラスト・ベガス』予告編

作品・出演者情報

監督

ジョン・タートルトープ

キャスト

個人的レビュー

少年時代から一緒にいた4人組の老人たちが、60年の時を経て再集合する物語。

いつまでも遊び心を忘れない4人は、仲間内で唯一独身だったビリーが若い恋人と結婚することになり、挙式のために全員でラスベガスで顔を合わせる。ビリーの独身最後の夜を思いっきり楽しむため、バチェラー・パーティーを開催する。各々が楽しむ中、パディはビリーとの間に58年間の確執が生じていた。

本映画の構成は、4人組のおじいさんが終始楽しんでいるストーリーだ。しかし、それと並行するようにビリーとパディの確執は最後まで描かれている。コメディとして笑いが多い中にも、どこかトゲのある描写が続き、視聴者を「心配」させる。

人間誰しも、子供から大人へと成長するにつれ、思考や行動は変わっていくものだ。4人組の中でも家庭を持った経験のあるパディ、アーチー、サムの3人は年相応の思考をしている。要するに現実を見て歳をとってきたのだ。

しかし、ビリーは唯一の独身ということもあって、子供の精神をずっと引きずって生きてきた。その際たる証拠が、愛の介在しない若い女性と結婚するという選択に現れていた。この違いこそ、ビリーとパディの確執につながっている。

アーチーとサムはこの二人の確執を十分に理解した上で、あえてラスベガスにパディを連れてきている。仲直りさせるとかそういうマインドではないはずだ。純粋に、少年時代の楽しい思い出を再現したいと思っている。ラスベガスに連れて行きゃどうにかなると思っていたのだろう。

私も少年時代を一緒に過ごした友人はいたが、高校、大学、そして社会人と成長していくにつれ、関係は薄くなっていった。あんなに仲が良かったのに、もう連絡先すら知らないような友達も多い。

田舎から東京に出てきたこともあって、地元の友達と仲良く遊ぶ機会はほとんどなくなった。多分、作中の4人のような関係になれる友達はいない。だから、この映画を見ていてすごく羨ましく思った。

とはいえ、まだ私は25歳。人生はまだまだ続く。キャリアを積んで人生を飾っていっても、少年の日の原体験は忘れたくないものだ。

このタイミングで一旦連絡を取ってみようか?

今どき、電話じゃなくてズームで繋いでしまえば顔を見て話すことだってできる。忙しなく過ぎていく日々の中で忘れかけていたものを思い出させてくれた本作に感謝したい。

40年後の自分が、前向きに歳を重ねて笑顔で過ごしていてくれたら嬉しい。

良かった点

言わずもがな、超豪華なキャストは素晴らしかった。こうした豪華なキャストを起用する映画では、たまにストーリーがショボい。キャストを見たときにその不安が頭を過ぎったが、本作はストーリーも良かったと思う。

ただ4人組の爺さんがはしゃぐのではなく、それぞれが送ってきた人生の幸福と後悔が描かれており、観る側の感情を揺さぶるのだ。それは4人組だけではない。本作のヒロイン的ポジションで登場するダイアナを通しても描かれる。

マイケル・ダグラスロバート・デ・ニーロモーガン・フリーマンケヴィン・クライン錚々たるキャストの個性が光る配役である。

個人的には、ラスベガスはロバート・デ・ニーロが映えるイメージがあったのだ。しかし、それに劣らずマイケル・ダグラスが主役を張っていたのがとてもすごいなと思う。個々のイメージが強いが、調和の取れた作品になっていた。

残念だった点

個人的に残念な点はない。しかし、アーチーがブラック・ジャックで大勝ちするシナリオは別の描き方でも良かったかなと思う。

少年時代はお金なんてなくても、4人でいるだけで楽しかったはずだ。それは60年経っても変わらず、ブラックジャックで大負けしてボロ宿に泊まるようなシナリオでも一貫性があって面白かったのかなと思う。本作を鑑賞した後だから言えることかもしれないが、あの4人ならどちらのシナリオでも最高の作品になっていたのではないだろうか。

いつかifの世界を描いたアザーが出たりしたら面白いな。

終わりに

超豪華なキャストに負けないシナリオで、考えることも多かった。

とはいえ、基本的にはコメディ映画。

気分が落ち込んだときに見れば、人生楽しんだもん勝ちだなとポジティブに思えるはずだ。

そんな時代もあったねと

いつか話せる日が来るわ

あんな時代もあったねと

きっと笑って話せるわ

中島みゆき『時代』より

中島みゆき『時代』の一節だ。

この映画を見終われば、この歌詞を思い出して過去が懐かしく感じられるだろう。

昔の友人に連絡をしてみよう。

今はその気になれば、いつだって繋がれる時代なのだから。

男女、年の差、そして友情「マイ・インターン」レビュー


映画『マイ・インターン』予告編(120秒)【HD】2015年10月10日公開

作品・出演者情報

監督

ナンシー・マイヤーズ

キャスト

個人的レビュー

年齢も性別も立場も超えた、友情の物語。

アン・ハサウェイ演じる超仕事人間の女社長ジュールズの元に、会社の社会貢献プログラムの一環でシニアインターンがやってくる。そのシニアインターンロバート・デ・ニーロ演じるベン。超多忙なジュールズは、最初は高齢者のインターンを自分が管理することに消極的だったが、勉強熱心で進んで困っている人を助け、周囲からの評判もいいベンの人柄と人生観に触れるうちに心を開いていく。

マイ・インターンはずっと気になっていた作品だ。アン・ハサウェイロバート・デ・ニーロが出ているのだから、さぞかし面白いのだろうとは思っていた。

作品のあらすじすら知らなかったころの私の予想では、インターンに来たベンが長年のキャリアを生かして色々なお悩みを解決していき、最終的にいい役職につくのかな?と思っていた。

だが序盤ではベンはろくに仕事も与えられず、ジュールズからは少し厄介者のように扱われていたのは驚いた。高齢だし、機械に疎いがゆえの苦労は描かれるだろうなと思っていたが、まさか仕事を振られないとは。笑

だが、その状況と対比するように同僚からの信頼を得ていく姿が描かれており、「時間をかけてジュールズを攻略していく」というストーリーの軸がわかる。

こうした攻略系のシナリオは、主に恋愛作品で使われることが多い。憧れの人にどうにか近づき、色々な苦労がありながらも距離を縮め、ゴールイン。王道のパターンだ。

しかし、今回は恋愛ではない。若手のやり手女社長と、引退してやりがいを求めるシニアインターン。聞いたことのない組み合わせだ。この構造を思いついた作者もすごい。おそらく、色々な恋愛作品を撮ってきたが、そのパターンを恋愛以外に当てはめたらどんなストーリーが描けるのか挑戦したのが本作なのだろう。

本作で特筆すべきはジュールズの描かれ方だ。作品ではベンが一人称として描かれているが、個人的にはジュールズに監督のこだわりを感じた。

ジュールズは自分で立ち上げた会社を全身全霊で引っ張っていくカリスマ社長。多忙なスケジュールで社員とのコミュニケーションがうまく取れず、色々なことを忘れてしまっている。気も強いし、時には社員に無理なお願いもする。

こうした社長像を描く時、王道を行くのは社員を使い捨てのコマのように扱う社長だ。「変わりはいくらでもいる」「やる気がないなら辞めろ」みたいな暴言をいとも簡単に言ってしまうような、売り上げ重視のロボットみたいな人物像になりがちなのだ。

しかし、本作ではそんな描かれ方はしていない。どんなに忙しくても、社員とのコミュニケーションを取ろうとする姿勢がある。さらにいえば、お客さんの声を聞くためにカスタマーサポートも請け負っていたりする。お客さんの視点でサービスを見るためにわざわざ自社製品を購入して包装をチェックしたり、そのあと工場に出向いて包装のやり方を実際に見せて教える。どんなに忙しくても、サービスに妥協せず、お客さんの視点でサービスを考える。

本作品は、社長のあるべき姿も描いているのだ。その証拠に、誰もジュールズを嫌っていない。よく思ってないのはママ友だけ。

女性の社会進出が叫ばれて久しいが、本作で描かれているジュールズはママ友に嫌われている。この描写、女性の社会進出を阻んでいるのは女性なのでは、というアイロニーも感じるところだ。本作の監督が女性であることや、主役のアン・ハサウェイが役の外でも意志の強いはっきりとした女性であるというバックグラウンドもあり、余計にメッセージ性が強くなっている。まあ、気にしなくてもいいところなんだけど、意外と大事なメッセージな気がした。

先にジュールズについて書いたが、もちろんベンからも学ぶことは多い。

ベンがすごいのは、社内の誰よりも年上で経験豊富なのに、非常に謙虚なところだ。最初はパソコンの起動さえ困っていたが、1つ1つ仕事を丁寧に覚えていく。ジェールズに厄介者扱いされて仕事をもらえない時でも、自分からやるべきことを見つけ、進めていく。誰もが面倒だと思っていることを、朝早く来て片付ける。こうした姿勢が信頼を生むのは、現実の世界でも同じだろう。

ベンの姿勢から、ジュールズも色々なことに気づく。周囲の人への感謝の気持ちを忘れず、その気持ちを伝えることの大切さに気づかされるのだ。さりげなくそのアプローチができるベンは、ジュールズをうまく補完し、社内のコミュニケーションを円滑にしている。

いいか、就活生諸君。君たちがよくESや面接で使う「潤滑油」ってこういう働きのことだぞ。飲み会を開いて親睦を深めましたみたいなレベルで使うんじゃねえ。

それぞれの世代が持つ「役割」が、この映画では暗示されている。説教を垂れることが年寄の役目じゃない。価値観が違うからと諦めてはいけない。ひたすらに歩み寄って、社会を形成していくのだ。

方丈記の一節に、こんな文章がある。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

「流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいてもとの水ではない。よどみに浮かんでいる水の泡は、一方では消え、一方では生まれたりして、長い間とどまっている例はない。この世に生きている人と住む場所とは、またこのようである」という意味だ。

価値観や働き方は、時代によって変わっていくものだ。ベンが現役のころ勤めていた電話帳の工場は、新興アパレル企業に生まれ変わった。そこで働く人も違う。その変化を受け入れ、適応しようとするベンの生き方こそ、これからの「人生100年時代」の生き方なのかもしれない。そして、古き良き風習や文化を素直に取り入れて大切にしていくことも、若者に必要なマインドなのだろう。

私も歳を取った時、ベンのように謙虚に学び、感謝を忘れない人間でいたいものだ。

良かった点

本作の良かった点は、前述したがジュールズが「よき社長」として描かれているところだ。アン・ハサウェイの演技力の高さもあるのだろうけど、嫌な社長としては一切描かれていない。ベンだけでなく、ジュールズも視聴者の応援の対象になっているところが非常に良い描き方だと思った。

残念だった点

ジュールズの母の家に忍び込んでデータを消す茶番は、賛否が分かれるところだろう。

個人的には、作品のちょっとしたスパイスになっていたし、その後のバーのシーンも重要だった(ジュールズの本音が出ていた)ので必要だったと思う。なくても描けただろうとは思うけど。

また、そのシーンでの住居侵入と、ベンが異動させられた時にジュールズが無免許で運転したという不法行為がいくつかあったのが気になったくらい。そんなのどうだっていいんだけどね。ほんとに。

あと、ジュールズが社内の移動に自転車使ってるって冒頭で言ってたのに、それ以降一度も乗ってなかった。最初の設定を貫いていたら、シュールさも加わって笑いのポイントが増えたかも、と思う。もちろん、なくても全然いいけど。笑

あとは、現代社会をもう少し子細に描くならば、女性の上司と男性の部下という点をもう少し突いても良かったのではないかと思う。主題とはずれている部分なので作品に落とし込まなかったのかもしれないが、見る人によっては違和感があったかもしれない。

終わりに

社会人であれば、誰が見ても何か感じるものがあるはずだ。特に、50代を過ぎている人には是非おすすめしたい。時代にチャンネルを合わせて、新しいことにチャレンジしていく姿がいかに美しいかを教えてくれる。部下との向き合い方も変わってくるのではないだろうか。

私は、明日からハンカチを持って仕事に向かう。いつの時代も紳士であるために。

ジャーナリストの矜持が描かれた「スポットライト 世紀のスクープ」レビュー


映画『スポットライト 世紀のスクープ』予告編

作品・出演者情報

監督

トム・マッカーシー

キャスト

個人的レビュー

個人的には、今まで見てきた映画の中で五指に入るような傑作だと思っている。

本作品は、事実を元に作られている。2002年1月にアメリカの新聞「ボストン・グローブ」が報じた、カトリック神父たちによる児童への性的虐待を教会が組織で長年隠蔽してきたという衝撃的なスキャンダルだ。当時のアメリカは同時多発テロが発生し、混乱の最中にあった。教会を心の拠り所として必要としている人がたくさんいる中、このスキャンダルは報じられた。

数百年の歴史を持つ教会という権力を眼前にして、闇に葬り去られてきた被害者たち。心に傷を負いながらも平穏な日常を求めて暮らしている多くの人がいた。被害者の気持ちを考えれば、そっとしておくことも1つの解決策であったかもしれない。でも、本作で描かれているボストン・グローブ紙の記者たちは今もなお被害者が生まれているこの現状を変えようと、ペンを手に強大な権力と戦うことを決めたのだ。

真のジャーナリズムとは何かを考える上で、この作品は欠かせない。

個人的な意見になるが、日本のメディアは権力に従順だ。右とか左とかいう話ではなく、記者が所属する団体に強く影響を受けた記事を書いている。是々非々で考えず、政権の批判に終始したり、身内の不祥事はとにかく隠蔽する。ろくに取材もせず、憶測だけで記事を書いてジャーナリストを名乗っている者が多い。

先日大きな話題となったダレノガレ明美さんの薬物疑惑なんかはその典型だ。取材もせず、裏取りもせずに数百万人が目にする記事を世間に垂れ流している。イメージ商売の芸能人にとって、薬物疑惑を報じられた時点で取り返しのつかないダメージを与えるという点を理解していなかったのだろうか。

ボストン・グローブ紙の記者たちは違った。カトリック教会という強大な相手に対して、自分たちの信念を貫くために取材を行い、記事を書いていた。権力のもとに葬られた被害者たちを救い、新たな犠牲者を出さないために。もう、根本的な姿勢が違う。ゲスい記事ばかり書いているメディアには爪の垢を煎じて飲ませたいものだ。

作品中のラストシーンでも描かれていたが、実際にこのスキャンダルが報じられたのをきっかけとして多くの報道が行われた。カトリック教会に限らず、孤児院、学校など施設関係者と子供たちが共同生活を送るような環境でこうした虐待が行われていることが報じられたのである。

さらに、この件はアメリカだけでなく、世界各国で訴訟が起こる事態となった。そして、実は今もなお根強くこの問題は残っており、解決はまだ遠い。

本作品で描かれた取材の過程において、虐待被害を受けた男性の心境の描き方が秀逸だった。彼はゲイで周囲にはそのことを隠して生きていたが、ゲイである自分を初めて認めてくれたのが加害者で、性的虐待を受けたにもかかわらず男性を好きになってしまうという苦悩を告白していた。演じた役者の表現力の高さに、まるで本当の被害者なのではないだろうかと思ってしまうほど。

今でこそゲイやレズに対する偏見も少なくなってきたが、まだ根強い偏見があることも確かだ。個人的には、あのワンシーンだけでもこの映画の価値があったのではないかと思う。

カトリック教会という強大な権力に対してどう攻めれば全貌を暴き、現状を変えられるのか。スポットライト編集部でも意見の分かれるところだった。今もなお被害者が生まれているこの現状を変えたくて、可能な限り早く記事を出すべきだという記者と、問題の根本を正すためにも、虐待を行った神父を全て洗い出して教会の姿勢を糾弾するべきと考える上司。どちらも間違いではない。より現場に近い立場で取材を重ねてきたか、現場から少し離れ、大局を見て指示を出す立場なのかでの食い違いだ。本作品では、取材チームのそれぞれの役割も含めて丁寧に描かれている。視聴者にも双方の意見の元となっている体験を示しているため、どちらかが間違っているというわけではないことは理解しやすい。

ハリウッド映画にありがちな盛り上がりはこの映画にはない。事実をもとに、真実を追い求める記者たちの泥臭い姿を克明に描いた作品だ。

日本人は宗教に関心がない人も多い。宗教的な行事は進んで参加するが、それがどういったバックグラウンドを持つ行事なのかはあまり関係ない。私を含め、日本人にはこの映画で描かれていたスキャンダルがどれほど衝撃的なものだったのかをしっかりと理解できる人は少ないのかもしれない。何人もの教師が児童に性的な暴行をしていたが、教育委員会によって全て揉み消されていた、みたいな感じだろうか。いや、もっと衝撃的だったはずだ。

同時多発テロもあって精神的に大きなダメージを受けている人が多い中、教会を心の拠り所としていた人もたくさんいただろう。ボストン・グローブが出した記事は、無慈悲にもその拠り所を打ち砕くものだったことは間違いない。

教会側も、自分たちの影響力を理解していたからこそ、このスキャンダルを長年にわたって隠蔽してきたのだろう。それが正しくないと知っていながら、自浄できなかったのは非常に悲しいことである。

記者のプライドを描いた本作品は、多くの人にオススメしたい映画である。派手なアクションシーンがあるわけではないが、心に深く突き刺さる作品であることは間違いない。

ボストン・グローブの取材チームは、この一件で報道の権威とも言えるピューリッツァー賞を受賞している。情報が溢れかえっている現代社会に生きる私たちは、この映画から学ぶことが多いはずだ。

良かった点

作品を盛り上げるための脚色がほとんどない点はよかった。現実離れした大スキャンダルを克明に描いている。また、役者陣も非常によかった。超有名な役者というわけでなないが、それがさらに作品にリアリティをもたらしていたと思う。

この作品を見ると、製作陣のボストン・グローブ紙への敬意が感じられる。

情熱と丁寧さがもたらした世紀の大スクープを、情熱と丁寧さで映画に落とし込んでいる。

では、作品を見る私たちはどうあるべきか?

この問題から目を逸らさず、今もなお苦しんでいる人がいることを忘れてはいけないだろう。遠い国の話だと思っているかもしれないが、日本も例外じゃない。

我々は記者ではないが、こうした問題に直面した時、正しい道を選び続ける強さを持っていたいものだ。

残念だった点

ない。強いていうなら、教会側の裏側も見てみたい。隠蔽に走った理由や、その心境など、加害者として描かれている側の話を深く掘った作品も見てみたいと思った。

終わりに

このクオリティの映画がサブスクで見られるというのは、本当にすごいことだと思う。普段はアクション映画やSF映画を鑑賞することが多いのだが、実話をもとにした映画を見るのも悪くないと思った。

虫が嫌いなら見ないほうがいい「メン・イン・ブラック」レビュー


Men in Black (1997) Official Trailer 1 - Will Smith Movie

作品・出演者情報

監督

バリー・ソネンフェルド

キャスト

個人的レビュー

銀河系の存亡をかけて、地球にやってきた宇宙人と戦う典型的SFストーリー。

全体を通して起承転結が分かりやすく、子供でも楽しめる映画だったのではないだろうか。

まあ、地球人VS宇宙人の構図であることは容易に想像がつくのだが、作中に出てくるほとんどの宇宙人は地球人と共存しているため、そこは少し分かりにくかったかもしれない。

今まで地球にいた宇宙人と、宇宙船でやってきた銀河を奪いに来た宇宙人は少し違う。宇宙からやってきて、牧場を営むエドガーの体を奪った宇宙人は、いわば宇宙人の中の犯罪者的存在だ。

猫の首輪についていた銀河を奪わんとして、暴れ回る。

ちなみに、このエドガー役の役者さん(ヴィンセント・ドノフリオ)は超名作映画「フルメタルジャケット」のデブ役をやっている。人の皮を被った宇宙人役だから、特殊メイクも入っていてわかりにくいかもしれない。でも、フルメタルジャケットでシゴかれまくってたアイツであることは間違いない。こういう発見もやっぱりちょっと嬉しいよね。

さて、この映画の主人公はトミー・リー・ジョーンズ演じるKという男と、ウィル・スミス演じるJという男の二人組だ。

寡黙で多くを語らないKと、陽気でなんでも首を突っ込もうとするJの対照的なコンビで宇宙人を倒していく。

これも蛇足だが、ジョーンズはジョージアのCMでは宇宙人を演じている。地球人として宇宙人と戦ったり、宇宙人として地球の不思議を悟ったり、大変そうである。ただ、ジョーンズは寡黙な地球人であり、宇宙人でもある。冷静沈着な役柄がとても似合う役者だと思う。

ウィル・スミスはコメディヒーローが非常に得意なイメージがある。いろいろな作品で主役を張っているが、演技力はやはり一級品。海外版ワンピースをやる場合は、ルフィ役が適任だと思う。

本作品は無駄な描写が極めて少ない。どのシーンも必要不可欠だ。いかにして地球人と宇宙人が共存しているのか、MIBとはなんなのか、なぜエドガーを乗っ取った宇宙人は人間を嫌っているのかなど、曖昧にせずに描いていると感じた。Jが任務を通して責任感を強めていく変化も極めて分かりやすく描かれているので、中学生くらいでも話の内容をしっかりと理解できたのではないだろうか。

唯一いらないなと思ったのは、冒頭シーン。亡命者の中で、一人だけ宇宙人なのを見破って始末するのだが、あのシーンはもう少し短くできた気がする。あのシーンで伝えたかったことは、Kの相棒が加齢によって衰えていること、新しいパートナーが必要になることの示唆だと思うので、もう少しコンパクトに終わらせても良かった。

その分、バグが乗った宇宙船がなぜ地球に来たのかを描けば、その後の展開がより分かりやすくなっただろう。

1997年の作品ということもあり、CGについては荒い部分もある。とはいえ、使いどころはSFにしては多すぎずで、リアリティをあまり削ぐことなく描かれていたと思う。

また、パソコンがめっちゃ古い。2020年現在に描かれる近未来の様子とはかなり違うが、当時のハイテク技術がどんなレベルだったのかが分かる。これも、昔の名作を見る楽しみといえるだろう。そう考えると、20年後の映画ってどんな描かれ方をしているんだろうか。気になる。

SF作品とあって、男心をくすぐるガジェットがいくつか登場していたのも良かった。最初にJが渡されたミニ銃とか、あのサイズで威力半端なくてちょっと欲しくなった。護身用にちょうどいい気がするんだよね。あとはトンネルの天井に張り付いて走れるMIBの車。あれあったら渋滞に巻き込まれずに済むんだろうなと思いつつ、首都高のトンネルって標識多いから事故って終わりだなーとも思う。でも、そのうち開発されそう。

まあ正直、典型的なアメリカのSF作品という感じなので好みは分かれるかもしれない。想像を超えるシナリオはないし、結末もそりゃそうだよねと納得する形で教科書のように綺麗に終わる。

シナリオ的に、「地球人が地球を守る」という観点からしか描かれていないために薄く感じるのだろう。宇宙人側がなぜ地球を攻めてくるのか、その目的の先に何があるのかを作品にもっと落とし込んでもらえたら一味違った作品になったのかな。

とはいえ、もはや1997年の作品は現代のSF映画を作る際の最低ラインとして置かれているだろうし、シナリオが物足りなく感じるのは現代のSF作品が確実に進化しているという証なのかもしれない。

退屈しない映画は他にもたくさんあるけれど、本作は単純明快なシナリオで観る者を飽きさせないバランスの良い作品だったと思う。

良かった点

個人的には、ウィル・スミスの演技がとても良かったと思う。おちゃらけているけど、徐々に責任感を持って任務に当たるようになり、最終的にKから認められる。こう書けば簡単そうな演技に見えるかもしれないが、そのグラデーションが非常にうまい。ある時を境に変わるのではなく、Kの背中を見て徐々に考えが変わっていく様子を、視線や所作で視聴者に植え付けていくのはなかなか難しいところだ。それを違和感なくできるからこそ、ウィル・スミスは一流のハリウッドスターなのだろう。

あと個人的に好きだったのは、ローゼンバーグ(貴金属店の店主)中に入っているエイリアンが小さかったところ。人体の顔面部分がコックピッドになっていて、小さい体で大きな人間の体を操縦しているのが良かった。めちゃくちゃ既視感あるなと思っていたけど、戦隊モノの巨大マシンだった。小さい頃に見て憧れてた記憶が一気に蘇ってきて最高だった。

残念だった点

残念だった点は、虫の描写がリアルすぎた。特に今回の敵キャラのバグはゴキブリがモチーフになっている(正確には不明)っぽく、めちゃくちゃゴキブリが出てくる。正直、虫嫌いの私にとってはどんなホラー映画よりも恐怖だ。鳥肌が立ちっぱなしで、映画を見終わってからも部屋にゴキブリが沸いてそうで気持ち悪かった。あと、エイリアンを倒したときのドロドロも生理的にキツい。そんなリアルにしなくてもいいのにと思ってしまった。

個人的には、二郎系っぽく「ゴキブリ抜き、ドロドロ抜き、ピカッ多め」のコールをしたいところだ。そういう機能が開発されるといいな。

終わりに

メン・イン・ブラックは配役もよく、いい意味でSFコメディ作品の教科書的な存在だと思う。SFの歴史を感じるためにも、早いうちにこの作品を見ておくことをオススメする。

虫が嫌いな人は無理しなくていいです。

戦闘シーン多すぎ!「ジョン・ウィッグ:チャプター2」レビュー


今度は家かよ!『ジョン・ウィック:チャプター2』予告編

作品・出演者情報

監督

チャド・スタエルスキ

キャスト

個人的レビュー

前作ラストシーンからわずか5日後の設定で、今度はイタリアンマフィアから姉殺しの依頼を受けたジョン・ウィック。さすがに前作で懲りたのか、今回は依頼を断る。しかし、誓印のせいでマフィアの怒りを買い、今度は思い出の詰まった家をバズーカで木端微塵に爆破されてしまう。5日前に愛犬を殺され、次は家を爆破されたジョンは復讐を開始。命の危機を感じたマフィアに懸賞金をかけられ、全世界の殺し屋に狙われてしまうというストーリーだ。

今作では、前作にもまして戦闘シーンが多かった。冒頭からカーアクションとスタントで派手に決め、その後少しストーリー展開を挟んでまたすぐに戦闘シーン。120分のうち、半分以上は戦闘シーンなのではないだろうか。

もちろんそれぞれのシーンでキアヌ・リーブスがかっこいいアクションを見せてくれる。ただ、前作も今作も共通して言えるのは、なぜか足元を撃って取っ組み合いになってからヘッドショットを決めて相手を倒すことが多いところ。一発で仕留められるんじゃないか?と毎度疑問に思うのだけど、あれは何か理由があるのだろうか。

あと、今作ではストーリーが単純明快だったので、特にだれも感情に訴えるようなシーンがなかった。登場人物の誰一人として感情を持っていないかのような、冷たい印象を受けた。まあ、マフィアと殺し屋の世界だから当然なのかもしれないが。

ただ、殺しのプロとしての礼節を守っているのはカッコ良かった。武士道に通ずるテイストがあったのは、日本人の心にはグッとくるシーンだったかも。少なくとも私はかっこいいなと思った。

ただちょっとジョン・ウィックが強すぎる。前作と合わせて一人で何人殺したんや。笑

こういったガンアクション作品にパワーバランスを求めてはいけないのかもしれないが、敵が丁寧に一人ずつ出てきたり、とにかく背負い投げが多かったりと、さすがに弱すぎるだろ。あと、あんなに街のど真ん中で殺しをやってたら警察に追われるシーンもあっていいんじゃないのか。

……と、爽快なアクションシーンを求めすぎるあまり、色々と要素を省きすぎた作品のような感じがした。それが悪いということではないが、もう少し繊細にジョン・ウィックの心情を描いても良かったのではないかという気がする。

良かった点

良かった点はガンアクションが今回も秀逸だったところ。言い方は少し悪いが、ストーリーが単調だった分、アクションシーンは色々とこだわりがあって良かった。ただ序盤にマスタングがぶっ壊れたせいでほとんどカーアクションはなかったのが残念だ。2030年のクリスマスまでかかるとか言われてたけど、次回作では復活してるのかな?

残念だった点

残念だった点は、前作ほどのドラマチックさがなかったところ。前作は復讐に走る動機づけが強く印象に残る作りで、ジョンに感情移入がしやすかった。しかし、今作はほとんど説明なしにいきなり家をバズーカで破壊されてしまうため、ジョンの復讐心がどこからやってくるのかが少々わかりにくい。愛犬のブルドックも生きてるし。

例えば家での妻との思い出を回想シーンで入れて、思い出の品が粉々になっているシーンを入れてみたらわかりやすかったかもしれない。

前作では、愛犬が殺された床をジョンが拭くシーンがとても重要だった。あのシーンがあったからこそ、並々ならぬ復讐心に視聴者がついていけたのだ。今作もそういったシーンがあれば、見方が少し変わったのかなと思う。

終わりに

アクションシーンは流石のカッコよさだったが、個人的には少し物足りないストーリー展開だったと思う。もう少し作品の比重をストーリーに割いてほしかったというのが正直な感想だ。

優しいタクシー運転手の人生が一気に狂った「コラテラル」 レビュー


Collateral (1/9) Movie CLIP - Nobody Notices (2004) HD

作品・出演者情報

監督

マイケル・マン

キャスト

個人的レビュー

平凡なタクシードライバーのマックスが殺し屋の手伝いをさせられるストーリー。

もし自分の身に降りかかったら……と思うと最悪だが、数ある殺し屋の登場する映画の中でも本作品は最も現実的に巻き込まれそうな設定だと思う。

序盤でびっくりしたのは、トム・クルーズが出てくるのが結構遅かったところ。もちろんストーリー上は何の問題もないのだが、超主役級の役者が出てくるのがこんなにゆっくりな映画ってあるんだなと驚いた。

もしかしたら、ミッション:インポッシブルシリーズばかり見ていたから感覚がおかしくなっているだけかもしれない。とはいえ、最初にアニーとのエピソードが入っていることでゆっくりに思えたのは事実。

アニーとは、高速を使うか下道を使うかでどちらが早いか賭けをする描写がある。この描写から私が思ったのは、マックスがこの街のことをよく知っていて、嘘をつかない正直な人物という印象をアニーに対して与える役割をしていたのかなということ。この賭けによって、終盤でビルにいるアニーに電話をかけて逃げるように説得することができている。それは、連絡先を教えてくれたという話だけでなく、検事をやっているアニーがマックスの言葉を信じるだけの根拠になっている。

さて、この映画は「都会」をどう捉えるか?という人々の視点を描いた作品だ。

作品の舞台となっているLAは、マックスにとっては「家」であり、ヴィンセントにとっては「他人」だ。

この主張は、作品中のふたりの行動にもよく現れている。

人が死ぬのを自分のことのように悲しみ、入院中の親を悲しませたくないとリムジン会社を経営していると優しい嘘で安心させるマックス。

LAを地下鉄で亡くなった男性が6時間も気づかれなかった「他人の町」と表現し、機械的に依頼に沿って人を殺していく殺し屋のヴィンセント。

この対比は、二人の人生観にも現れている。12年間も夢のための準備期間としてタクシードライバーをやっているマックスと、10分先の未来すら分からない、人生は短いと言い切るヴィンセント。

二人は常に対比で描かれているが、終盤でマックスは流されるままの人生に終止符を打たんとして、状況を変えるアクションを起こす。ヴィンセントに流されるまま、大好きなLAで殺し屋を運ぶドライバーをやっているこの状況を変えたい。そんな気持ちがマックスを突き動かしたのだろう。

アドラー心理学的に言えば、マックスはお金がないと理由をつけて夢を追わないという人生を選択している状態だった。自分の人生に嘘をついている彼が、皮肉にも殺し屋の生き様によって変えられてしまったのは面白い。

良かった点

良かった点は、結末があっけないところだ。

普通、映画のクライマックス、結末は見るものを感動させ、時には涙を流す人もいるものだろう。しかし、本作品ではヴィンセントを始末したあと、電車から降りたマックスたちが歩いていくだけの描写で終わる。アニーとのその後や、タクシー会社との顛末など気になる点はたくさんある。

でも、唐突に、物足りなさを感じさせて終わる。

上述のとおり、この映画は「都会」をどう捉えるかを主眼とした作品だ。ヴィンセントの最後のセリフにもあるように、LAでは地下鉄で誰かが死んでいても誰も気づかないような「他人の街」だ。

一晩の惨劇のラストでヴィンセントが死んだ。電車は闇に向かって走り出す。そして、夜明けの空の方へ向かってマックスは歩き出す。

それがまさに都会の在り方なのだ。多くの人が行き交い、様々な出来事が起きる。いろいろなドラマがある。誰かの人生が一変するような夜も、普段と変わらずに明ける。また、何事もなかったかのように街の生活は繰り返される。

だから、この作品には壮大なクライマックスなんていらないし、マックスとアニーの未来など描く必要もないのだ。

このあっさり感は、物足りなさではない。計算された、都会を最大限表現するための仕掛けだと私は思っている。

残念だった点

ヴィンセントがマックスの母に花を送ったのは、いまいち理由が分からない。彼自身、「普段と違う行動をすると怪しまれる」とマックスに話して見舞いに来たタイミングだった。それなのに、普段は買っていくことはないものを持っていかせるのは、ちょっと矛盾している気がした。ヴィンセントの意外性をここで引き出した理由がよくわからん。

もしかして、いつもと違うことをするとよくないぞということを体現したのか?その直後にマックスに資料を捨てられてしまうし。まあ、個人的にはいらない描写だったかなと思う。

終わりに

コラテラル。単語の意味は「巻き添え」だ。

都会で生きる人々は、何かの巻き添えになった時、人生が急激に変わっていくのかもしれない。

マックスが人生を変えた瞬間。それは、自分が大事にしていたモルディブのポストカードをアニーに渡した時だ。

彼自身もまた、他人同士の都会で他者を巻き添えにした張本人なのかもしれない。

これは、たった一夜の物語。

色々と非人道的な世界観「マイノリティ・レポート」 レビュー


Minority Report (2002) Official Trailer #1 - Tom Cruise Sci-Fi Action Movie

作品・出演者情報

監督

スティーヴン・スピルバーグ

キャスト

個人的レビュー

未来のアメリカでは犯罪予防局が開設され、プリコグ(precognitive=予言者)と呼ばれる3人の予知能力者たちで構成された殺人予知システムに基づいて捜査がされるようになっていた。プリコグが予言した殺人犯となる市民は、殺人を起こす前に「未来殺人罪」という罪名で逮捕され、身体の自由を奪われる。末恐ろしい未来を描いた作品だ。

日本の警察を見ていても分かる通り、事件が発生してからでないと捜査できないというのが現代の司法の限界である。未遂で逮捕できると言われればそれはそうだが、刃物で刺したけど相手が死ななかったとか、物理的に相手にダメージを与えてない限りは殺人未遂に問われることはない。

人権の観点から見れば、本作品で描かれている未来殺人罪は大きな問題だ。たとえプリコグの予言精度が100%だったとしても、まだ何も法を犯していない人の身体を拘束して自由を奪うのは完全な人権侵害となる。本作品でも「殺人予知システムの全米展開の是非」を国民投票によって問うため、システムの完全性を調査するというのがストーリーの軸となっている。

もっとも、2002年公開の本作品の背景には、9.11以降にアメリカ政府が国民の情報を管理しようとしていることへの問いかけが含まれているのも事実だ。未来予測ができたらどんな世界が待っているのかを映像作品を通して考えてもらうという意図が感じられる。

さて、本作品ではトム・クルーズ演じる犯罪予防局の刑事であるジョン・アンダートンが、プリコグによって殺人を犯すと予言され、同僚たちに追われながら自分に何が起こるのか、なぜ自分が殺人を犯すことになるのかを探っていく。最終的にはプリコグが示した殺人の結論とは少しだけ違った展開になり、全て仕組まれた罠であったことを悟るのだが、「人権」の観点から見るとここで論理破綻が起こっている。

プリコグの示した未来をジョン自身の意思で変えることができてしまうのなら、今まで未来殺人罪で逮捕してきたことの正当性が全て崩れ去る。そこにifを感じさせてしまう展開だったことは大変残念だ。もし全てが罠だと悟って、真の黒幕にたどり着く展開にするとしても、まずはプリコグの予言通りに進めるべきだった。ジョンは自分の意思で殺人を犯してしまうが、その殺害の動機となった息子の写真や現場の証拠を頼りにストーリーを進めるべきだったのではないか。作品の根幹となる部分が揺らいでいるように感じてしまったのがかなり残念。

あと、もう1つ人権の観点で言えるのは、プリコグの3人の人権も完全に無視されている点は気になる。奇妙な水に浮かべられ、24時間体制で未来予知をさせられるって奴隷のような扱いだなと思った。巨匠スピルバーグの描く未来はこうも残酷なのか。そこは予言者ではなく、AIに任せてしまえばよかったのに。もしかしたら、それすらも現代へのアンチテーゼで、どこまで技術が進歩しても人智を超えるAIは完成しないということを伝えたかったのかな。

まあ、プリコグに殺人を予知されて自動車工場でウィットワーと戦うシーンが素手での殴り合いだったし、2054年の世界にしてはステレオタイプな感覚で作ってんなと思う部分もあった。どうせならそこも近未来的な発想で作ってほしかったなと思うのは贅沢なのかな。

……と、ここまで書いてきてハッとしたのは、この近未来の不完全さが「マイノリティ・リポート」に繋がっているのか?ということだ。

作品のタイトルともなっている「マイノリティ・リポート」とは、3人のプリコグの予知が食い違ったとき、システムの完全性を疑われないために少数意見を破棄するというシステムのことだ。簡単にいうと都合の悪いことを隠蔽する仕組みのことで、開発者しかその事実は知らない。実際にシステムを運用していたジョン自身もこのことは知らず、自分の潔白を証明するために開発者を訪ねたタイミングでその存在を知る。

結局のところ、人間が作る世界に絶対はない。そんなメッセージを私は読み取った。

ちなみに私はこのタイミングで黒幕を確信した。というか、洋画はこういった展開が使い古されすぎていて途中から展開が読めてしまうことが多い。本作もそういったパターンに当てはまる作品である。

近未来を描いた作品として、面白い作品だったとは思う。どこまでテクノロジーが進歩しても経済格差が是正されることはなく、スラムは残るという未来の描き方には興味を持った。

良かった点

作品の良かった点は、テクノロジーの進歩の描き方にワクワクする点だ。現代を席巻しているタッチパネルの操作はなくなり、非接触型のパネルを駆使して犯罪捜査をしているのはかっこいい。そんな未来が見てみたいなと思えた。

2002年公開の映画だから、その頃はまだiPhoneも登場していない。タッチパネルが普及していない時点でその先を描いていたのは、さすがSFの巨匠スピルバーグといったところか。

また、トム・クルーズの演技が近未来SF映画にヒューマンドラマ的要素を足しているのはさすがだと思った。息子への愛情、誘拐犯への憎しみなど、本来SF作品では軽視される人間味の部分をしっかりと表現していた。これまでSFを多く手がけてきたスピルバーグの譲れないポイントだったのかもしれない。

残念だった点

いらない描写が多かった。例えば、交換した眼球を落としてコロコロ〜ってなるところなんて絶対にいらない。あそこはハラハラもしないし、なんのために入れたのかわからん。グロいだけ。

個人的には論理破綻がとても気になる。マイノリティ・リポートの有無に関わらず、これまでシステムを信じて何人も逮捕してきた側が、当事者になると逃げ惑うという矛盾だけは気になる。

後半からは過去の誤認逮捕の可能性と運用してきた制度の崩壊というアンビバレントが焦点となって展開するが、その最後の答えもまた、プリコグの予知した未来とは違った結果(自殺)で終わるのはどうなんだろう……

終わりに

総括としては、良くも悪くも近未来を覗き見ることができた気がして面白かった。

また、この映画には原作となったフィリップ・K・ディックの短編小説(The Minority Report)があるので、機会があればそちらも読んで改めて作品に想いを馳せたい。