伊達男の映画批評

AmazonプライムかHuluかディズニープラスで見た映画の感想を書いています。

誰よりも映画を愛した男の物語「ニュー・シネマ・パラダイス」レビュー


Cinema Paradiso | ‘Longing’ (HD) - Philippe Noiret, Salvatore Cascio | MIRAMAX

作品・出演者情報

監督

ジュゼッペ・トルナトーレ

キャスト

個人的レビュー

数ある映画作品の中でも「不朽の名作」として名高い「ニューシネマパラダイス」。

恥ずかしながら今回初めて鑑賞したが、もっと早く見ておけばよかったと悔しい気持ちが強かった。

いつか見よう、いつか見ようと先延ばしにしてしまっていたのが悔やまれる。。

形容し難い感情なのだが、絶対に見たいと思っている作品って見るまでの心の準備に時間がかかってしまうのは私だけだろうか?

遠足の前日に眠れなくなるような、明日が早くきてほしいはずなのに、なんだか来てほしくないあの気持ち。それがニューシネマパラダイスを見る前の私には強かったのだ。

作品のあらすじは、中年映画監督の少年時代の回想として、映画が大好きなシチリアの村の少年トトが、村の映画館で映写技師を務めているアルフレッドとの日々を通して成長していくというものだ。

至ってシンプルな軸だが、描き方が秀逸なのでいろいろな感情が溢れてくる。

本作のタイトルである「ニューシネマパラダイス」は、村にあった「シネマパラダイス」という映画館が焼失してしまったために再建されたものだ。

この焼失の理由は、アルフレッドの粋な計らいで映画館に入りきれなかった人々にも楽しんでもらおうとしてのアクシデントだった。

ルフレッドは口には出さないが、村で唯一の映写技師を務めていることを誇りに思っていたのだろう。トトに映写技師の仕事を諦めるように説得する際も、否定する論調から結局は仕事への誇りの話になっていく。村で必要とされる仕事であり、トトがそれに熱狂的な興味を持ってくれていることが嬉しかったのだ。

トト自身も、映写技師への憧れはずっと続いていた。宗教上の理由で切り取られていた色気シーンのフィルムを、アルフレッドにねだっては断られる日々。最終的には、「トトにフィルムはやるが、管理はアルフレッドが行う」という条件をつけられてしまう。アルフレッドが意地悪にも見えるが、トトはまだ子供だったから与えなかったとも取れる。

これが最終的に、とても素晴らしい感動シーンを生むことになるのだ。少年の日の思い出が鮮やかに蘇るので、ぜひ作品で確認してみてほしい。きっと全員泣く。

この作品を通して当時の映画が庶民にとってどのような存在だったのかを理解できるが、現代の日本の映画館のように静かに鑑賞するというものではなかったことがわかる。

映画は人々のコミュニケーションの中心であり、その中心にあったのがシネマパラダイスだった。市民の憩いの場であり、出会いの場でもあったのだ。

その一方で、村という閉ざされた世界の唯一の娯楽という狭さもある。アルフレッドはトトの将来を案じ、もっと外の世界に目を向けるように促す。トトは自分と違って勉強もできる。だからこそ、その映画への熱狂をこんな小さな村の映写技師だけで終えてほしくなかったのだ。親よりも近くでトト見てきたからこそ、村を出てローマで自分の好きなものを追い続けろと強く訴えた。

トトにとってアルフレッドは年の離れた友人であり、人生の師であった。この辺はマイ・インターンにも似た関係性だ。彼らは互いを必要とし、補完しあっている。

ルフレッドにとっても、トトと過ごした日々はかけがえのないものだっただろう。単調な仕事にスパイスが効いていたし、子供のいないアルフレッドにとっては我が子同然の存在だったのだ。

もし自分がアルフレッドの立場だったら、トトに村を出て帰ってくるなと伝えられるだろうか?

自分の人生の楽しみを大幅に失っても、他人の将来を信じ、道を示すことはできるだろうか?

トトへの親心であり友情でもあるアルフレッドの心情は、きっと25歳独身の私にはまだ理解しきれない。10年後にもう一度振り返った時、私自身が何を思うのか楽しみだ。

一方で、15歳の私にもこの作品を見せたかった。学校に通い、人生を導いてくれる先生たちに囲まれていたあの思春期にしか感じられないことがあったのではないかと思う。

いつか自分の子供ができたら、こうした名作は早めに見せてあげたい。その時しか感じられない気持ちを大切にしてもらいたい。

良かった点

ストーリーはもちろん、序盤と終盤を綺麗に繋ぐ構成には感嘆した。

いわゆる伏線というものだが、そのいやらしさが全く感じられないほど綺麗な展開である。

ニューシネマパラダイスが名作と言われるのは、この巧みな構成にあることは間違いない。

また、作中の音楽がとても美しい。つい先日亡くなってしまった映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネの代表曲ともいえるCinema Paradisoは、聴けば誰もがわかる名曲だ。本作品の舞台であるシチリアの片田舎の哀愁をよく表現している。映画音楽がこれほどまでに効果的に作用している作品も珍しい。きっとラストシーンでCinema Paradisoが流れたら、全員泣くだろう。

残念だった点

完全版も見てみたい。それ以外何も残念なところはない。

唯一あるのは、教師の虐待シーンや子供の喫煙シーンがあるから金曜ロードショーとかでは流すことが出来ないのかな。。という点。多くの人に見てもらいたい作品だが、地上波では無理なのかな。

終わりに

ここまで綺麗な映画は珍しい。作品を鑑賞し終えた時、澄み切った心と濁りのない涙を体感してもらえればと思う。

信じてくれる人の大切さを教えてくれる「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」レビュー


Catch Me If You Can (1/10) Movie CLIP - Substitute Teacher (2002) HD

作品・出演者情報

監督

スティーヴン・スピルバーグ

キャスト

個人的レビュー

1960年代に世界各地で小切手偽装事件を起こしたフランク・W・アバグネイル・Jrの自伝小説をもとに制作された作品。

家庭環境の変化や、父親の独特の教育によって社会的には歪んだ人間となってしまった彼が、家出後にパイロットや医師、弁護士に偽装して多くの人を騙していく。

この作品は、「天才詐欺師」として逃げ回る主人公と、それを追う刑事の人間味溢れる物語だ。少年の更生、複雑な家庭環境などといった深いテーマはある。しかし、人がいかにして騙されるのかといった心理学的な側面からのアプローチも面白い。

最初にフランクが得た肩書きはパイロット。世間からは注目される職業で、制服を着て街を歩けばみんなが振り返る。人は見た目から騙されるという典型的な例だ。

これは私たちも経験があることで、例えば警察官はその制服を着ているから安心感がある。交番に私服で立っていれば、私たちが普段感じでいる安心感はないはずだ。

いくら的外れな質問を繰り返しても、彼がパイロットの制服を着ている以上はみんなが教えてくれる。自信満々な態度も重要で、ディカプリオの演技を見て参考にしてほしいが、相手の目をしっかり見て話している。

相手にナメられたくなければ形から入る。こう考えると、ヤンキーの世界って実は理にかなっているのかもしれない。

次にフランクが得た肩書きは医師。ここでフランクが使うのは肩書きの効果。ハーバード医学部卒という華麗なる経歴を詐称し、自信満々に医者を語る。裏で医療系のドラマを観て雰囲気を掴みつつ、部下に自信満々に指示を出す。権威を借り、自分の評価をコントロールすることで医師としてもうまく立ち回った。

日本の社会人で言えば学歴とか職歴に当たるだろうか。個人的には、学歴は社会で役に立つとは限らないと思う。むしろ、「東大なのにこんなこともできないの?」という目でも見られてしまうものだ。

現代では多用な生き方が肯定され始めているから、肩書きは参考程度にしかならないだろう。しかし、社会でうまく立ち回るためには肩書きを良きタイミングで周囲に示すことはとても大事だ。中途採用とかで現場に入ったときはなおさら。最初に舐められないことで、優位に立てる。

この作品は犯罪行為を軸にしたものだが、フランクがあの手この手を使って経歴を詐称し小切手偽造を続けることができたのは、彼自身の努力によるものであることは確かだ。その人になり切るためにどうしたらいいのかを考え抜き、研究した結果、数年に渡って世間を騙し続けてきたのである。

そして、その結果として彼は普通に生きることを望むようになった。正直に生きたい。恋人との婚約もできず、自分を偽るための努力が虚しいものであることを悟った。

足を洗って正直に生きたいと思った彼に寄り添ってくれたのは、彼を追っていた刑事だった。彼は作品の中でしか出てこないが、実話では彼の更生をサポートしてくれた何人もの人がいたらしい。

日本では社会からドロップアウトした人を支えてくれる人は少ない。社会に迷惑をかけないよう、清廉潔白に生きてきたという自負が強いのか、見捨てる人が多い。

人はいつからでも正しく生きれるのだと、この映画から学ぶことは多い。

良かった点

やはりレオナルド・ディカプリオの演技力だろう。ウルフ・オブ・ウォールストリートのレビューでも語ったが、役を自分のものにするのがとてもうまい。今回は実年齢とは10歳ほど若い高校生役だが、青年期の子供っぽさを違和感なく演じ分ける様は圧巻だ。

dateotoko-movie.hatenablog.com

令和の日本でいうところの菅田将暉かな。どんな役でも演じ分けられる器用さは、さすがハリウッドスターという感じ。

残念だった点

特に残念に思ったところはない。勉強になることが多い作品だったと思う。

終わりに

名作と言われるだけあって、いろいろな人に刺さる作品だったのではないだろうか。

自分を偽ることはできればやめたほうがいい。しかし、自分をよく見せるために工夫し、研究することで拓ける道もあることは知っておくべきだ。

製薬会社の闇を暴く勇敢な行動「ナイロビの蜂」レビュー


The Constant Gardener (2005) Official Trailer - Ralph Fiennes, Rachel Weisz Movie HD

作品・出演者情報

監督

フェルナンド・メイレレス

キャスト

個人的レビュー

大手製薬会社が莫大な利益を狙い、アフリカで人命を軽視した臨床実験を行なっていることに気づいた一人の女性ジャーナリストが闇に葬られ、その夫が妻の無念を晴らすために命を狙われながらも真実を究明していくストーリー。

感染症は歴史が長い。最近はコロナウイルスが猛威を振るっているが、数百年前にはペストによって大量の人が犠牲になっている。急激に増加する感染者に怯える人が多いということは、それだけその解決法を提示できる企業には利益がもたらされる。製薬会社は人命の救助を第一に掲げつつも、実際はその奥に眠る莫大な利益を狙っていることがあるのだ。

もちろん、それが悪いことというわけではない。多くの人を救う薬を開発したのならば、それに相応しいリターンがあっていいと思う。それがビジネスだ。

しかし、今回題材になっていた企業は自分たちにとって不都合な真実を隠蔽していた。自分たちの利益のためにたくさんの命を犠牲にし、その判断を下した当人たちは昼間からゴルフ。同じ人間だが、その命の価値は差があると言わんばかりの描写だ。

テッサのような勇敢な女性は、煙たがられることが多い。特に大きな組織に対して歯向かう時、様々な危険が生じる。権力に対抗するジャーナリストが殺されるというのは映画ではよくありがちだが、今作でもそれは同じ展開だった。ただし、他の作品と違う点はその意思を受け継いだ夫が主人公であるという点。さらに言えば、この作品は「主人公」という概念ではなく、「権力に対抗するもの」という概念がメインなのかもしれない。テッサ→ジャスティンに主人公のバトンが渡っているように感じた。

本作で最も印象的なシーンとして、村を襲撃されて飛行機で逃げる時、ジャスティンが幼い子供を同乗させようとするシーンがある。目の前の命を助けたいと思い、必死に訴えるジャスティン。その姿は、生前のテッサに重なる。

この作品が描いているのは、テッサの正義感とジャスティンの贖罪だ。

テッサは正義に反することがあれば、すぐに行動を起こし、不正を暴こうとする人物だった。一方で、ジャスティンのことを深く愛していたことも事実だった。

製薬会社の不正がイギリス高官たちを巻き込む大きな闇であることを知ったテッサは、外交官であるジャスティンを守るために不正について何も知らせることはなかった。彼が真実を知ってしまえば、命を狙われる危険もあったから。

そんなこととは知らず、ジャスティンは外交官としてテッサの行動を嗜めることがあった。

彼は当初、目の前の命を救いたいと行動するテッサとは対照的な存在だった。外交官として国を背負っているということもあり、目の前の人命よりも公平な支援を優先していた。だが、テッサが守りたかったのは自分であることを知り、なぜもっと寄り添ってやれなかったのかを後悔する。ジャスティンは自らが現実を直視しなかったことにも責任を感じ、テッサの残した仕事を行なっていく。

正義感と真実の愛が並行して語られる良作だったと思う。

個人的には、作品のタイトルのつけ方が面白いと思った。原題の”The constant gardener”はジャスティンを指し、邦題の「ナイロビの蜂」はテッサを指している。

どのようにタイトルが決まるのかは知らないが、邦題がテッサに向いているということは女性の社会進出や地位向上に対してのメッセージがあるのかなと思った。深く考えすぎかもしれないけど。

私が見た感じでは、テッサの強い女性像が印象的だったので、邦題の「蜂」が敵を鋭く狙う様子が想起されていいタイトルだなと思った。

良かった点

「誰かに狙われている」ことを示すカメラワークが良かった。

ジャスティンが周囲を警戒している様子を、敢えてカメラワークを雑にすることによって緊張感やリアリティを演出していたのが素晴らしい。

見る側も感情を共有しやすい仕掛けだったと思う。

残念だった点

ちょっと話が複雑でゴチャッとしてしまう部分があったように思う。

特に、登場人物の関係性がわかりにくくなってしまった。キャストの外見が似ていることもあって、混乱する人もいるかもしれない。

終わりに

こういった社会派の映画では、そのジャーナリズム精神や事件の大きさについてフォーカスされることが多いが、今作は夫婦の愛の形もテーマになっている。

今もなおこうした不正が起こっている可能性も否めない。遠いアフリカの話だとは思わず、問題意識を持つきっかけになる作品だ。

差別とは何かを考えさせられる「最強のふたり」レビュー


映画『最強のふたり』予告編

作品・出演者情報

監督

エリック・トレダノ

オリヴィエ・ナカシュ

キャスト

  • フィリップ - フランソワ・クリュゼ
  • ドリス - オマール・シー
  • イヴォンヌ - アンヌ・ル・ニ
  • ガリー - オドレイ・フルーロ
  • マルセル - クロティルド・モレ
  • エリザ - アルバ・ガイア・クラゲード・ベルージ

個人的レビュー

2011年のフランス映画で、実在の人物をモデルにした作品。

頸髄損傷で首から下が麻痺で動かせない富豪と、その介護をすることになった移民の若者の交流を描いている。

観たら分かる最高の映画だが、フランス作品らしく色々な差別について描写がある。

この作品を見れば、私たちが普段差別じゃないと思ってしている行動が当人にとっては差別的に感じることがあるかもしれないと気づくだろう。障がいを持っているから助けてあげなくてはいけないというのは健常者の思い込みで、実際は腫れ物のように触れられることが嫌いな人だっている。

そもそも、人助けは障がい者に限ったことではない。健常者だって困っていたら助けるはずだ。できないことは協力して乗り越えるのが当たり前だが、こと障がい者については「助ける」ことが何か特別な意味を持ってしまうことがある。それは私たちの中にある障がい者への特別視であり、見えない差別となりうる。

もちろん、全てが差別となるわけではない。助けてほしいタイミングで助けてと言えない人がいることは確かだし、人によって対応をあわせていかなくてはならない。

冒頭の面接のシーンで、多くの志望者が「社会貢献」「障がい者が好き」などといった薄っぺらい理由を並べていた。それを目の前で何人も見ていたフィリップは、そういうまともな介護人のお節介が嫌いなタイプの人間だった。だからこそ、ドリスの何者にも媚びない、正直な意見をする人柄に可能性を感じたのだろう。

障がい者に対して救いの手を差し伸べようと仰々しく立ち振る舞うのは誰が見ても気持ちの良いものではない。近年、24時間テレビ障がい者を利用したお涙頂戴番組だと批判されることが多いが、それは障がいを特別視していることに多くの人が違和感を持っているからだと思う。個人のパーソナリティとして認めることができていないのだ。人前で話すのが苦手だとか、走るのが遅いとか、障がいはそういうのと同じレイヤーで語るべき話なのだ。

ドリスはフィリップの乗った車椅子について「もっと速く走れないのか?」とフィリップ本人に言う。まるで俺に合わせろと言わんばかりに。だが、それはフィリップだって思っていることだ。合わせてもらうんじゃなくて、合わせたい。フィリップ自身がそう思っていたからこそ、車椅子の移動速度を限界まで上げる改造をした。「こうしてほしいんでしょ?」という姿勢ではなく、「このほうが良いだろ?」という目線の合わせ方が大事だ。価値観を押し付けてはいけない。

なるべくその人が生きたいように生きさせる。ドリスの介護の姿勢はそういうものだ。私たちが常識だと思っていることは本当に誰かの役に立っているのか、しっかりと考えていかなくてはいけない。

この作品への批判的なコメントとして、ドリスの口汚いブラックジョークが目に余るというものがある。もちろん人によって感じ方はそれぞれだし、マジョリティーの意見としてはブラックジョークが心地よく感じられないことは確かだろう。しかし、そういったマジョリティーの姿勢に正面から疑問を投げかけている作品だということを忘れてはいけない。ブラックジョークを不快に感じた人は、介護の面接で「社会貢献」と言ってしまう優等生タイプだ。自分の考えを多数決で決めていると言うべきか。今作は、そう思わない人がいることを知ってほしいという意図があるはずだ。

人助けとはどういうことなのかをしっかりと考え、本当に望むものを与える姿勢が大事だ。それは、障がいの有無に関係ない。フィリップとドリスの関係性から私たちが学ぶべきことはたくさんある。

良かった点

障がいについてがメインテーマだが、他にも色々な要素が詰まった作品であるところが素晴らしい。ドリスがスラム出身の黒人青年で腹違いの兄弟がいる点や、どぎついフレンチジョークがたくさん登場するところなど。

中でもドイツをいじるネタが多かったのは面白かった。ハンブルクの希少種とかね。笑

こういった寛容さは映画に限らず大切にしていきたいものだ。もし仮に平和じゃなく、戦争が起こっている状態なら、許されない表現だろうから。

これを見てジョークを楽しめることを幸せに感じるのって大事なのかもしれない。

残念だった点

特に残念だった点はない。人によってはジョークが過激で配慮に欠けると言うかもしれないが、それは作品の本質を見抜けていないだけだと思う。

常識は所属する組織によって違う。ドリスとフィリップの常識が世間の非常識であることは間違いないが、それを否定するのは見ている世界が狭すぎる。時代によっても、国によっても、性別によっても常識なんて違うものだ。その違いを楽しむ余裕を持って生きたほうが楽しいと思う。

終わりに

この作品はフランスで超大ヒットを記録した映画だ。過激な表現もあるので人によって好みは分かれるが、まずは一度見ておくことを強くおすすめする。

自分の価値観を疑うきっかけになるだろう。

人間のすべての欲が詰まった名作「ウルフ・オブ・ウォールストリート」レビュー


『ウルフ・オブ・ウォールストリート』 予告編

作品・出演者情報

監督

マーティン・スコセッシ

キャスト

個人的レビュー

金持ちになりたい、いい女を侍らせたい、とにかく「覇者」になりたい。

人間誰もが一度は思い描いたことのある理想像に向かって、レオナルド・ディカプリオ演じるジョーダン・ベルフォートが成り上がる様を描いている。

この作品を観て、個人的には気持ち良さを感じた。

今の日本じゃ絶対に描けないだろうなという圧倒的な世界観。マネー・セックス・ドラッグの三拍子揃った名作と言えよう。

映画のカテゴリとしては伝記もしくはコメディにあたるが、あまりにも現実離れしているということもあってファンタジーと言ってもいいのでは。笑

人間の欲望をそのまま描いたような本作だが、実話だ。ジョーダン・ベルフォートは存命の作家で、2006年4月に22ヶ月のムショ生活を終えた。

ブローカー、社長として栄華を極めたベルフォートは、ムショ生活のあと本作のような映画の収入や講演活動を通して暮らしている。おそらく、日本だとこうした暮らし方はできない。思いっきり叩かれるだろうし、そんな人をスピーカーに呼んでしまったら主催者が叩かれるだろう。その辺はアメリカらしく寛容なのだろうか。

映画の話に戻ると、レオの演技力が光る作品だったことは間違いない。ジョーダン本人ではないものの、その振る舞いやメッセージの強さはまさにカリスマ的だ。役を自分のものにするのが上手すぎる。

特に驚いたのは、ドラッグをキメる時の仕草や顔つきが中毒者のそれだったこと。実生活でキメているわけでもないのに、慣れた手つきで吸っているのは役者としての振り幅がすごいなと思う。タイタニックのレオの印象が強いからそう思うのかもしれないが。

もちろん作品の内容としては違法行為が多分に含まれているため、このままマネしろというのは無理な話だ。しかし、人生の目標に向かって手段を選ばずに突き進む姿は見習うべきところだ。せっかく入社してブローカーの資格(証券外務員)を取得したのに、オイルショックで水の泡になったところから這い上がっていく。逆境をバネにして乗り越えていく姿は、観る人に勇気をくれると思う。

ちなみにこの冒頭の求人情報を見るシーン、個人的にはジョーダンの奥さんの存在がとてもいい味を出していると思った。というか、これもまた人生の教訓のように感じられた。自分の価値観がぶれそうになった時、近くでそれに気づいて修正してくれる人がいることの大切さが描かれている。あの時奥さんが何も言わなかったら、彼はブローカーのキャリアを捨ててしまうところだった。追い込まれた時に支えてくれる人の存在は本当に大切だ。ああ、彼女なし独身には響くぜ。

まあ、結局事業が成功したタイミングで調子に乗って不倫して奥さんを捨ててしまうのだが、それはジョーダンの人間性ということで片付けておく。

監督の遊び心なのかもしれないが、実は作品のモデルとなったジョーダン・ベルフォート本人が出演しているシーンがある。ラストのシーンで、レオ演じるジョーダンが講演活動をスタートさせるが、その時に司会をしている人物こそがジョーダン・ベルフォート本人だ。ほとんどの人が気づかないと思うが、映画を観る前にジョーダンの講演を視聴していたので気づくことができた。彼の講演が気になる方は以下のリンクから少しだけ見ることができる。


ストレートライン_ジョーダンベルフォート

悪いことをして捕まった過去はあるけれど、世のビジネスパーソンに求められている商談のクロージングスキルのプロフェッショナルであることは間違いない。話し方や所作を含め、ぜひ一度観ておくことをおすすめする。

良かった点

本作の良かった点は、主演にレオナルド・ディカプリオを持ってきたキャスティングだろう。映画で語られるベルフォートの伝説のスピーチは、レオだからこそあの迫力があったと思う。

人のやる気を引き出すペップトークは日本人は本当に苦手だ。映画の中での演技とはいえ、どうしたら自信ありげに堂々と話すことができるのか、視線の運びや強調しているフレーズ、繰り返し伝えているメッセージを読み取って真似してみてほしい。スマートな上司もかっこいいけど、やっぱり情熱を持ってチームをまとめ上げるカリスマに人は惹かれるものだ。参考にしてほしい。

あと、新しい奥さんになったナオミ役はマーゴット・ロビーが務めている。めっちゃきれいな女優さんで、ハーレイ・クイン役でも有名だ。めっちゃエロいから男性はそれも楽しみに見るといいのでは。笑

残念だった点

残念というか、日本社会ではこういったストーリーは美談として語ってはいけない風潮が強い気がする。そのため、この作品を通して伝えたいメッセージが全然刺さらない人が多いかもしれないと思った。

さすがにドラッグやら不正やら許されるものではないが、こういう物語こそ教訓にすべきポイントを切り取ってモチベーションを高めていくために使っていくことができる社会になるといいね。

週刊誌の不倫報道とか、人の足を引っ張って喜ぶのはもうやめにしよう。いいところを見つけて、真似していく。いい方向に進める意識を大切にすれば、この作品から多くのことを学ぶことができるだろう。

終わりに

現実離れした本当の話だが、まだモデルの人物が生きているという点でも早めに観ておくべきだろう。

人を導く天才の物語。ぜひ自分の人生に生かして、より豊かに生きていこうではないか。

2つの人生を歩むことができたら…「天使のくれた時間」レビュー

作品・出演者情報

監督

ブレット・ラトナー

キャスト

個人的レビュー

もしあの時恋人と一緒にいることを選んだらどんな人生を歩んでいたのか、その世界線を体験する物語。

人生には出会いと別れがある。それは、時に人生のターニングポイントとなる。

成功を夢見て恋人のケイトと離れ、単身ロンドンへと渡ったジャック。空港でケイトに泣きながら引き止められたが、それを振り切って別々の道を歩む決断をする。

その別れから13年。ジャックは大手金融会社の社長としてプレッシャーの中で結果を残し、優雅な独身生活を送っていた。クリスマスの夜にケイトから電話があったがかけ直すことはせず、そのまま眠りについた。翌朝目覚めると、13年前にロンドンに渡らず、ケイトと一緒に暮らした場合の”if”の世界線にジャックは迷い込む。

誰しもが考えたことのある、「あの時こうしていたら」というストーリー。今作の対立軸は「出世」と「家庭」だ。どちらの方がいいという押し付けがましい作品ではないが、ジャックが元々の世界で成功者だったため、家庭人の暮らしに混乱してなんとか抜け出そうとする。

資本主義第一のジャックからすれば、中流階級の暮らしで満足することはできなかったのかもしれない。いわゆる独身貴族として満足のいく暮らしをしていたところから、一気に質素な暮らしに変わるというのは相当ないダメージだ。

よく、生活レベルをあげるのは簡単だが、下げるのは容易ではないと言われる。一度得たものを捨て去るという決断は誰にとっても耐えがたいものだ。

私も意図的に生活レベルを下げた経験があるが、やっぱり前の方が良かったなと思う事は多かった。まあ、私の場合は勝手に生活レベルを下げた以外生活は何も変わっていないので、昔の恋人と家庭を持つというプラス要素があるジャックよりも悲惨な経験だったかもしれない。笑

それにしても、フェラーリに乗って金にも余裕がある状態から中流階級まで生活レベルを下げるのはきつい。

とはいえ、ジャックはifの世界線でもなんとか現状を良くしようと立ち回る。ジャックの思考は「お金があればもっといい暮らしができて、もっと家族が幸せになる」というもの。個人的にはこの考え方が間違っているとは思わないが、そうでない人生を否定するわけではない。幸福は人によって違うし、家族でゆっくり暮らすのも1つの幸せだ。

最終的に、お金第一よりも家族で暮らす人生をジャックは選ぶ。お金をたくさん稼いで、その幸せも理解した上でジャックが選んだという事は、愛する人と子供に囲まれて暮らす事はこの上ない幸せだったのかもしれない。そもそも比較するようなことではなかった、とも言えるが。

Ifの世界線で家庭を持つ幸せを選んだジャックだったが、結局元の世界に戻ることになる。そこでは金融会社の社長としてのジャックがいて、トラブルに見舞われている真っ只中。仕事が順風満帆だったからこそ感じていた幸せだったことに気づいた彼は、元の世界でもケイトを訪ねた。優秀な弁護士としてパリ支店を任されることになったケイトは引っ越しの真っ最中で、本作の冒頭のシーンの反対の状況になっている。ジャックがケイトを引き止めるのだ。

冒頭でケイトがジャックを引き止めた時、彼女は「嫌な予感がする」という抽象的な言葉でしか引き止めることができなかった。一緒にいてほしい、ただその一心でジャックに泣きついていたが、彼はそれでは引き止められなかった。

同じ立場になったジャックは、ifの世界で経験したケイトと子供たちのことを語りかける。ケイトは飛行機に乗るのを止めて、ジャックと話をすることにする。

この映画を最後まで観賞して思ったのは、ここまでの全ての物語は現実世界のジャックが新たな幸せを掴むための物語だったのかもしれないということだ。

仕事で成功して独身貴族を謳歌していた彼は、ケイトのことを忘れることができていなかった。あの時ロンドンへ旅立ってしまったことが、ずっと心に引っかかっていたんじゃないか。

彼はスーパーで強盗まがいの行為をしていたキャッシュという黒人青年に対し、なんでも持っているといった。でも本当は、ケイトとの幸せな暮らしも手に入れたかったのだ。現実世界で彼がその幸せを実現するためには、別の道を歩んで幸せな人生を送っているケイトを説得しなくてはいけない。そのための数週間だったのではないか。

この作品のテーマは「出世」と「家庭」の幸せを天秤にかけた時、どちらを選ぶか?というものだと思っていた。でも本当はそうではない。

「まだ君が手に入れていない幸せがあるよ、だから、一度考えてみないか?」

ジャックが迷い込んだIfの世界は、天使のくれた時間なのだ。

天秤にかけることじゃない。どちらかの幸せを諦めなきゃいけないなんて決まってないんだよ。私にはそんなメッセージに感じた。

良かった点

本作の良かった点は、ストーリーのキーパーソンに娘のアニーを使っている点だ。ifの世界で唯一ジャックの異変に気づいた彼女が、最後にジャックをパパと認める。子供の無邪気で飾らない態度によって、ジャックが現実の世界とは違う幸せに気づいたかどうかを表現している。

パパの皮をかぶった宇宙人から、本当のパパになる。もしかしたらアニーも天使だったのかな。

残念だった点

キャッシュの存在が宙ぶらりんすぎる。この作品では天使として登場しているわけだが、登場が唐突で違和感しかない。もう少しジャックをサポートする役回りとして登場させ、ifの世界での生活を支えてやるべきだったのでは。

ボウリングで明らかに浮いている描写とか、さすがにifの世界を表現するのにくどすぎやしないかと思ってしまった。

終わりに

誰しも考えたことのあるifの世界を表現した作品で、自分自身に投影するシーンもいくつかあった。

今の自分はどちらかというと仕事の幸せを求めて生きている。まあ、彼女もいないし作ろうとすら思っていない。

この作品を見て、家庭を持つことの幸せも少しだけ考えるようになった。

次に作品を見返す頃には結婚してたら面白いな。

アン・ハサウェイがエロいだけじゃない「ラブ&ドラッグ」レビュー


映画『ラブ&ドラッグ』予告編

作品・出演者情報

監督

エドワード・ズウィック

キャスト

個人的レビュー

アン・ハサウェイが美しい裸体を魅せる映画、、、ということで興味本位で鑑賞したが、エロを求めて鑑賞するだけじゃ申し訳なくなるほどいい内容だった。

上司の妻と店のバックヤードでセックスをしたのがばれて仕事をクビになったジェイミーは、医薬品大手のファイザー製薬で営業マンの職を得る。天性のモテ男であるジェイミーは大病院を中心に営業を仕掛けていく。しかし、ライバル会社のトップセールスがいるためになかなか結果を出すことができない。

そんな時、若年性パーキンソン病を患うマギーと出会ったジェイミーは、その美しさに惹かれる。まあ、医者でもないのに乳を見てしまい、駐車場で怒られるところから始まるのだが。

そこから、ジェイミーとマギーの交際が始まる。紆余曲折を経て、お互いの理解を深めていくストーリーだ。

驚くことに、この映画は実話ベースの物語だ。バイアグラの営業マンであるジェイミー・レイディが書いた「全米セールスNo.1に輝いた〈バイアグラ〉セールスマン」が原作。とはいえ、マギーは映画の中だけの登場人物である。

この映画はコメディとラブストーリーを織り交ぜた傑作だ。いわゆるラブコメというジャンルだが、コメディ部分が実話で恋愛部分がフィクションというのは面白い。

ジェイミーを演じるジェイク・ギレンホールとマギーを演じるアン・ハサウェイは、「ブロークバック・マウンテン」という作品でも夫婦役で共演経験がある。こちらの作品では夫婦が主題ではなかったためそこまで目立っていなかったが、今作は違った。パーキンソン病という難病と闘う女性との恋愛がテーマでもあるため、アン・ハサウェイがとても目立っている。

本作は非常に難しいテーマを、コメディを通して観る者に訴えかけている。恋人の関係になってしまえば迷惑をかけてしまうことを知っているマギーは、身体だけの関係しか許さない。それとは反対に、いつしかマギーという人を愛するようになっていたジェイミー。

終盤までずっと、恋愛関係についてはマギーが消極的でジェイミーが積極的という構図だった。しかし、二人で一緒にシカゴに行き、彼らの思いは逆転する。ジェイミーはパーキンソン病の妻を持つ男性に「やめておけ」と言われ、思い悩む。一方でマギーはパーキンソン病患者の集いに参加し、病気で思い悩んでいるのは自分だけじゃないというポジティブな気持ちになる。

このすれ違いは、観ていて辛いものがあった。ジェイミーはマギーの病気を治して一緒にいることを求め、マギーはありのままの自分でいいという気持ちになっている。どちらの思いも同じ方向を向いているのに、すれ違ってしまう。

なんだか、ラ・ラ・ランドの展開に似ているなと思った。夢を追っているのは同じだし二人とも間違ったことは言っていないのに、その過程ですれ違ってしまう。このムズムズ感が、感情を激しく揺さぶってくる。ジェイクとアンの演技も上手すぎて、「ああ、どうしてこんなにもすれ違うんだ!思っていることは同じなのに!!」と叫びたくなる。

dateotoko-movie.hatenablog.com

難病と向き合うのは、勇気がいることだ。特に、関わる人に否応なしに迷惑をかけてしまう病気だと恋愛には奥手になってしまう。それも分かったうえで真剣に向き合ったジェイミーは素晴らしい。

すごく大事なテーマを扱っている映画だが、ラブコメの皮を被っているため、基本的には笑いながら見ることができる。バイアグラのヒットはこうして生まれたのかと勉強にもなるので、機会があれば是非観てほしい。

もちろん、アン・ハサウェイ目当てで見てもOKだ。徐々に作品に引き込まれていき、気づけば作品の主題に触れていろいろなことを考えるはずだ。

良かった点

良かった点は、ラブコメの中にヒューマンドラマの芯が通った作品であるところ。これがただのラブコメ作品でも楽しめたかもしれないが、おそらく飽きてしまっていただろう。重たいテーマをラブコメと並行して扱った本作は、個人的には革新的な作品だと思った。

残念だった点

終盤のパジャマパーティーはジェイミーのキャラがブレてしまうような気がして少し疑問だった。軽い男がマギーと向き合う中で変わっていくというのもシナリオだと思っていたが、パジャマパーティーはその流れと逆行している気がした。

終わりに

特に男性には見てほしい作品だと思った。アン・ハサウェイが最高なのはもちろんなのだが、人との付き合い方や覚悟の仕方、何を大切にして生きるべきかなど、鑑賞した後に色々と考えることの多い作品だったと思う。